石鹸を食べたことがある。
チーズと間違えて。
当たり前だけど、めちゃくちゃ不味かった。
今でも鮮明に思い出せる口の中の石鹸の味。
歯列の複雑な構造の中に入り込んで一生とれないんじゃないかと思うくらい、
口に残った石鹸の味が何度歯磨きしても消えなかった。
数日は何を食べても石鹸の味しかしなかった。
白い紙に包まれた、つやつやした光沢の薄肌色の四角いものがダイニングのテーブルの上に置かれていたので、
外出した母が私のおやつに大好きなチーズを置いくれたのだと思い一気にパクリとかじった。
後で聞いたら、手作り石鹸だった。
母にそのことを話したらきっと「バカね。」と言って笑うだろう。
そしてこの口の中の匂いも母の笑顔で洗い流されて泡のように消えてなくなるだろう。
早く話したかったのに結局その日母は帰ってこなかった。
次の日の朝に弟が産まれた。
赤ちゃんは小さくて弱々しくて母の手の中で大切そうに抱かれていた。
「お姉ちゃんになったのよ。」母は嬉しそうに私に言った。
口の中の石鹸の匂いと、お母さんの病院の匂いと、赤ちゃんのミルクの甘い匂い。
全部が混ざって、どうしてなのか泣きたい気持ちになって、お母さんのせいで石鹸を食べた!
と怒って泣いて母を困らせた。
やきもちとか、嫉妬とか、そういう言葉を知らなかったあのころは、自分はなんでこんなにイライラしているのか?泣きたい気持ちなのか?泣いて爆発して困らせるしか方法がわからなかった。
そんな自分にまたイライラしていた。
大人になっていろいろな言葉を知ったけれど、そのどれにも分類できない自分の中のイライラを持て余すとき、今でも口の中にあの匂いと苦さが広がる気がする。
何度磨いてもなかなかとれなかったあの時の石鹸が、今でも複雑な歯列のような心の隅っこにひっかかっているのではないかと思ってしまう。
石鹸を食べてしまった日、弟が産まれた日。私には結構衝撃的な出来事が重なった。
今でもチーズは大好きだ。
慎重に匂いをかいでからいただいている。
先日の上の子に手を焼いているお母さんのことを書いた時に
あの時の石鹸の味を思い出したので、ちょっとエッセイ風に書いてみました。
今ではすっかり忘れているけど、自分でも持て余していたあの時の気持ちをちょっと思い出しました。
我が家の梅の木が満開になりました。
今日も読んでくださいましてありがとうございます。
あなたが幸せでありますように。
さくらあくり