溝口肇の「ClassicBlue」という曲が流れている
PCを持ち込んで仕事をしているカフェに。
それにしても
溝口肇のチェロはどうして
こんなにも美しくて哀しいんだろう。
音が空気を振動させて、脳内の記憶を一緒に振動させるからだろうか?
つまり
「哀しみ」はこの音の振動とよく似た振り幅を持っているのかもしれない
だから共鳴するのかな。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/rumi8484/92/a8/j/o0592039614064695405.jpg?caw=800)
いつも
クライアントにその時の感情を言葉にしてもらっている。
捉えどころのない霧のような曖昧なきもちを
なんとか手ですくって表現してもらう。
たとえば
今チェロの音を聴いている
私の感情を捕まえてなんとか言葉にするならば
「かなしい・せつない」かな。
それから
そのつふたつの違いはなんだろう?
と考えてみる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170710/23/rumi8484/72/b3/j/o0561040013979735903.jpg?caw=800)
私の中で
「哀しみ」は湖みたいに静かにそこにあるもの、
に対して
「切なさ」は肌に降りかかる冷たい雨。
自分では動かすこともできない静かな存在である「哀しみ」と
肌にささってくるような積極性を感じる「切なさ」との違い。
違うけれど、この2つは
水のように循環している気がする。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20171122/15/rumi8484/77/38/j/o0320024014075808899.jpg?caw=800)
チェロの音色って
高級なウイスキーのように美味だなーと思いながら
珈琲を一口飲み込んで
また目はPCの中の文字を追いかける。
一緒に飲み込んでしまったさっきの感情の中には
「哀しみ」と「切なさ」では表現しきれない
きれいな緑や黄色が確かに存在していたなーと一瞬だけまた考えて。
言葉はそれを選んだとき
すくいきれなかった何かを必ずのこしてしまうものなのだ。
いつの間にか音楽が「世界の車窓から」に変わっていた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20170811/14/rumi8484/31/75/j/o3000225014002569231.jpg?caw=800)
よくカフェにPCを持ち込んで仕事をしています。
主にblogも含めライターの仕事など文章を書く仕事や
メール返信などです。
溝口肇さんのチェロの音楽が好きです。
その曲を聴いて
頭に浮かんだことをエッセイ風にしてみました。
私ってtry人です。(笑)
ちなみに
「世界の車窓から」は溝口肇さんの代表曲です。
今日も読んでくださいましてありがとうございます。
あなたの夢が叶いますように
さくらあくり